★諏訪神社 十二月例大祭
諏訪神社の大祭は年に4回行われ、そのなかでも12月第2土曜日の十二月例大祭が一番重要で関わる人数も多い。
屋形立て(土俵つくり)から始まり、神事は宮司と役員と当屋で厳かに営まれる。提灯と篝火が闇夜を支配する頃から多くの村人が繰り出して、一般的に云われる「おまつり」となる参拝と奉納相撲が行わる。
数十年前までの神事は、村人の笙(しょう)と篳篥(ひちりき)が奏でる雅楽の中で、何とも言えぬ雰囲気を醸し出していた。
昔は祭前日から屋形立てなどの準備を始め、神事とお祭りが行われる当日と、翌朝の撤収で3日間の日程だったが、現在は丸一日で全ての行事が終わる。
屋形立て
屋形立ては、提灯を5張または10張を吊れる大きな屋根付きの木製屋形を、組み上げて立てる共同作業である。横倒しにした2本の柱に梁と屋根を組み、最後に全体を起して地中の穴に柱を差し込み、最後に提灯を吊るす。
古くはこの提灯を吊るした屋形が、鳥居の前と道路を挟んだ向かい側の2基、石段を上がった所に2基、拝殿前に2基の全部で6基もあり、屋形を立てる順番を間違えると残りの屋形を立てるのが困難な事態に陥ったりしていた。この屋形立ては、萩谷の4垣内が4年周期で担当する形になる。平成6年には屋形が木製から鉄骨に代わり、平成14年にはろうそくから電球への変遷を経て今日に至っている。
お祭りは夜に行われるので、提灯屋形以外に長い棒を通した提灯が4張とお相撲さんより大きな提灯が4張と、提灯の灯りはお祭り気分の高揚に大きな役割を果たしてくれる。
意図して拝殿の照明を消して、提灯と壁掛け行燈だけの明かりにしているのも臨場感の演出だが、一部ではその意義を理解されないこともある。
土俵つくり
一束(たば)弱のもち藁を縄で縛りながら俵全体を回して、直径約3.6mの輪にしたら、俵の下半分を土中に埋める。この共同作業は、藁を供給する人、藁束を縄で縛る人、後方で俵を回す多くの人の呼吸が合わないと、俵が途中で分解してしまうことになるので油断が出来ない作業だ。徳俵を2本埋めて、土俵の内側と周りの土を耕して、土俵の中央に60cm位の円錐状の盛り土をしたところに榊と盛り塩をすれば土俵は完成。
後は宮司さんのお祓いを待つばかりである。
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| 十二月例大祭の拝殿と土俵 | 氏子による土俵作り | 階段下から見た提灯屋形 |
餅つき大会
萩谷どんとこい!と女性会有志との共同イベントとして餅つき大会が夕刻から開催されている。
ちから餅を食べると力の源となったり、餅が五穀豊穣や長寿を願う食べ物として扱われてきた。また、鏡餅は神社の神鏡の代わりとしてお供えされるので、奉納相撲の前に神社で餅つきをするのは理に適ったイベントと言える。
萩谷の何処の家でも昔は杵での餅つきを行っていたが、夫々の家でやり方が異なるし、経験がない若い人も参加してのイベントなので、諏訪神社の独自のルール(けが防止で少し杵でついては餅を返す)での餅つき方法で行っている。
神社境内では火床以外での直火が憚れるため、餅米を蒸すのはLPガスを使うことで対応。
欅の臼に移されたもち米は、入念な「こつき」のあと、多くの人が代わるがわる餅つきを体験することに。「こつき」を疎かにすると杵で頑張ってついても米つぶ感はとれない。
つきたての餅はとり粉を使わない湯取り法で、きな粉、海苔醤油、大根おろし、明太マヨ、ぜんざいの味付けで提供され、つきたての餅はとても美味しくて、用意された米6升(餅12kg)のお餅は参拝者のお腹に消えていった。
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| 二人で「こつき」の最中 | 最後のいろんな味付け |
奉納相撲
奉納相撲の起源を示す資料はないが、諏訪神社の神様は長野の諏訪大社と同じ「武御名方命」タケミナカタノミコトで、タケミカヅチノミコトと力較べをしたとされ、このことから力較べとしての相撲が諏訪神社では古くから行われてきたと考えられる。
昭和の初め頃のお祭りでは、裸に廻しを付けた大人が中心で相撲が取られていた。萩谷地域内だけでなく、原や服部等の他地域から多くの人が諏訪神社に集まり、四股名を付けての取り組みが行われていた。逆に萩谷の人が周辺の地域に出掛けて相撲を取ったりもしていた。また、竜仙の滝(大正不動瀧
※清水村誌より)の上部に諏訪神社の領地が在り、ここに龍滝大明神 、不動明王・妙見大菩薩、岩滝大明神の三社(岩瀧大善神、龍瀧大善神・妙見大菩薩、妙高大菩薩 ※清水村誌より)が鎮座する境内には土俵が在って、萩谷の人達も相撲を取るためにその地に出掛けていた。
夜の奉納相撲が終われば、肌に付いた土を落とすためと体を暖めるために、風呂が近所に用意されていた。風呂の借り賃として1円25銭が支払われていたと、昭和11年の会計に記録が残っている。土俵の横に火床が設置されているのには、相撲の合間で冷えた体を暖める目的が有った。
取り組みが終わったらそれで終わるのではなく、その余韻の酒席が翌朝まで続いていた。
その後の奉納相撲は、昭和37年までは青年会が主体となって、翌38年からは子供会が主体となって、現在も子供奉納相撲として続いている。
大相撲三月場所(大阪)の際には、藤島部屋の山分親方(元武雄山)らが参拝に来られる。拝殿には各場所の最新番付表が貼られ、諏訪神社と相撲との関係性を垣間見ることが出来る。
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| 提灯と篝火のなかで奉納相撲 | 多くの人が見守る中で盛り上がる |
じゃんけん大会
力較べの祭神なので、じゃんけんも勝負と捉えることが出来るので、10年前から奉納相撲終了後に開催してきた。
7、80人くらいの参加者が、1位賞品の牛肉を賭けての真剣勝負。
じゃんけん大会は勝ち残ることでも、逆に負け続けても良い賞品になる可能性が有り、そして敗者復活戦もある。勝ち残り1位の賞品以外にも7品と追加の13品の賞品を用意した。
じゃんけんに弱い人・強い人があるのか、10年催しをしてきて、同じような顔ぶれの人に賞品を渡しているような気がするのは錯覚なのでしょうか。
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| じゃんけん大会の様子 |