グルメが地球を滅ぼす

H22.7.23 更新

 最近テレビではグルメ番組が放送されることが多くなってきた。不況の世上では、制作費が安いグルメや旅行番組にならざるを得ないのかもしれない。
世界に目を向けると、貧困や政治情勢、そして地球温暖化での異常気象で、食べることが出来なくて餓死する人が毎日数万人もいる。一方の日本では、一口で何千円、何万円と云う高級食品が飛ぶように消費されていく。

食料自給率が39%と低い日本、何もせずグルメ三昧に明け暮れていたら、明日の食べ物が無くなってから慌ててももう遅い。輸入がストップ(食料輸出国も人口が増えれば輸出するどころではなくなる)すれば、自衛権がどうのこうの言う前に日本は自然消滅してしまうだろう。

 世界の人口は、中国やインドそしてアフリカ諸国等で急速に増加しており、2007年ではおよそ66億人で、この増加傾向を止めることは出来ないだろうから、これからも増え続けることになる。20年後にはおよそ80億人になるだろうと言われている。
人口が増えればふえた分だけ多くの食料が必要になるが、狭い地球で生産出来る食料は限られており、結果として十分な質と量を得られなくて餓死する人が出てくる。全世界の人が十分なカロリーで質素(穀物中心)な食生活をするとしても、地球の定員は60億人だと試算されている。

 人口が増えている発展途上国では、食料を穀物に多くを頼っており、食糧を増産するには農業技術の向上だけでは不可能で、耕地面積を広げる必要がある。自然豊かな森林を切り開いて畑地に変える。それには樹木を伐採または焼き払わなければならず、木々を燃やす時に炭酸ガスを放出し、炭酸ガスを吸収する植物が無くなるため、地球温暖化を促進する。
発展途上国の現地の人にしてみれば、自然を壊して畑地を作るか飢えて死ぬか、どちらを取るかとなれば前者を取らざるを得ないだろう。

 穀物(米、小麦、芋、豆等)を主としての食事と、肉(牛や豚等)類を主としての食事では、地球の定員は数倍も異なってくる。例えばとうもろこしをそのまま食べれば効率は一番良いのだが、家畜の餌として与えた場合は牛肉1kg生産するのにとうもろこしの餌を11kg(カロリーでは7倍)も消費してしまう。豚肉は7kg、鶏肉は4kg、鶏卵3kgと、肉を生産するには多くの餌が必要になる。肉しか食べない人は非常に効率が悪いことになる。
例えばバングラデシュやインドに比べて、アメリカは約5倍(肉類等を穀物に換算した穀物当量)の食料源を消費していることになる。日本もどちらかと言えばアメリカに近いだろう。

 人間が生きていくためには必ず食べなくてはならず、その食材は出来るだけ生活の場に近い地産地消が、安価で安全で理に適っている。日本は都市部に人口が集中して大量輸送網が発達して、全国各地からそして世界各地から食材が日本中を駆け巡り、都市部のグルメ達を満足させている。地元で採れた食材を食べると云う習慣が日本人にあれば、都市部集中地方過疎化の抑止力にもなったかもしれない。
我家で採れた食材で自給自足という極端な話は無理としても、ある程度の食料自給率を上げるように、国策として国が舵取りをしてもらいたい。しかし、政治家というのは自分の懐を暖めることと選挙のことしか考えていない人が殆どだろう。

 

 食料自給率が世界的に見ても飛び抜けて低い日本は、一方ではその食料を世界的に見ても飛び抜けて大量(他国の数倍)に廃棄しているのも日本である。製造段階(外見が僅かに損傷)で、流通段階(梱包や包装に傷、賞味・消費期限切れ)で、そして消費する我々も食料を残して廃棄している。
日本国内で廃棄される食糧は年間2千数百万トンになり、これは諸外国に大量の人道的食糧援助を行なっている量の数倍にもなる。

 

 賞味・消費期限切れの食材を偽って販売していたことが、マスコミで大きく報道され、ワイドショー等でコメンテーターが罵りあっていましたが、報道内容をそのまま「そうだそうだ」と納得出来ない人も多いだろう。
賞味・消費期限を偽ることは許されないが、売れ残った食材を再利用することは多いにすべきだと思う。
セカンドハーベストフードバンク関西のように、廃棄される食糧を福祉施設や貧しい人達に配る活動はもっと全国的に広めてもらいたいものであるが、それより廃棄される段階で量を減らすべきではないだろうか。
これらのことを進めるには、国民一人ひとりの意識が変わらなければ出来ないことである。

こんな言葉がある
「大地は親から譲り受けたものではない。子供達から借りているものである。」