和暦の西暦

H22.4.15 更新

日常生活や仕事で、また書類の作成や広報活動において、日付(年月日)を入れる機会は毎日のようにあるかと思うが、さて西暦を使うか日本の元号を使うか迷った人も多いのではないだろうか。

和暦

大化の改新(645年)から使われ始め、皇位が代わったり厄払いのような感じで改元したりで、現在の平成まで250の元号が使われてきた。昭和54年に「元号法」が制定され、一世一元の制(天皇の在世中は元号を変えない)になった。

西暦

キリストの誕生年を紀元として、今も全世界の共通元号として使われている。
しかし、キリスト誕生の翌年は紀元2年と明記されて使われていたかと言うとそうではなくて、532年からキリスト教の一部で使われ始めて、それまではローマ皇帝(ディオクレティアヌス)の元号が使われていた。ディオクレティアヌス以前の皇帝でもキリスト教迫害はあったが、ディオクレティアヌスはキリスト教を根絶するくらいに徹底的に迫害した。その後に皇帝になったコンスタンティヌスは逆にキリスト教を公認して、キリスト教のその後の発展に大きく寄与し、ローマ帝国がキリスト教に言わば乗っ取られたような格好になった。キリスト教を迫害したディオクレティアヌス元号を使うのを嫌って、キリスト誕生を紀元とする元号に切り替えられた。しかし、その後の調査でキリスト誕生は紀元前7年〜4年になるようだ。


使い勝手
海外の人からすると、日本の元号は全く分からないに等しいだろう。また、私達にしても歴史を勉強する場合に、元号全て(250)を覚えておかなければ、年代の把握はできない。また、海外との歴史的な関係は西暦で扱う方が便利である。あれから何年経たかを計算するのも西暦でないと出来ないに等しい。
合理的に考えれば平成を使うのを止めて西暦にするべきで、世界的にみてもそのようになっている。西暦の使用率が極めて低い国は恐らく日本だけではないだろうか。元号が代わると、印刷物や通貨等全て新しい元号に作り直さなければならないので、かなりの出費になるが、その方面の仕事の人は一時的に潤うことになる。


日本の現状
日本では「元号法」(昭和54年公布)があり、国家機関、国立独立法人、地方公共団体等、公的文章には必ず和暦が使われている。国から和暦を使うように指導されているが、罰則規定はない。従って、官公庁が発行する文書、官公庁に提出する書類は必ず和暦(平成)で書かなければ受け付けてもらえない。しかし、海外で主に使うパスポートや、気象観測機器の製造年は西暦の使用が認められている。新聞等は昭和51年(1976)から順次西暦と和暦を併記するようになってきている。企業や一般の人の間では和暦と西暦が混在して使われ、決まった使い分けもなく、どちらでも気にしないというのが現実だろう。押し並べて言うと、若年層は便利な西暦を使い、歳と共に公文書を書く機会が多くなるにつれて和暦を使う人が増えていく。


これからどうする!
礼儀作法に小笠原流等があるが、複雑で決まりごとが多くて面倒なことばかりだ。日本語も表現の仕方が幾通りも有って、複雑で日本人でも使いこなせない。非合理的で面倒なことは、言い換えれば文化水準が高いことを意味する。
元号も和暦を使うことは長いスパンで歴史を考える場合は面倒ではあるが、そのような独自の元号(平成)を使っている日本は、伝統文化が今も息づいている数少ない国といえる。
従って、公文書には和暦を使わなければならないが、自分以外の国民が見る文書や広報文にも和暦(平成)を使うのは、それが日本の文化だと考えれば拘りなく使えるのではないだろうか。もっとも自分の中で完結するものには西暦であろうと和暦であろうと好きなように使えばよい。